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お天気豆知識(2025年08月16日(土))

ひまわりの呼び名
ひまわりの呼び名

ヒマワリは北アメリカ原産の花で、ヨーロッパへ渡った後、ロシアなどへ広まり、17世紀中ごろになって日本へ渡りました。
ヒマワリという名は、読んで字のごとく太陽に向かって回る花という意味です。英語では「sunflower(サンフラワー)」とよび、ずばり太陽の花という意味です。しかし「太陽の方を向いて従う」という意味のsun-followから来ているという別の説もあるようです。
スペイン語では「girasol(ヒラソル)」とよばれ、「girar(ヒラール)」は回る、「sol(ソル)」は太陽を表しているので、太陽について回る花、という意味になります。
ドイツ語では「sonnenblume(ゾンネンブルーメ)」といい、「sonne(ゾンネ)」は太陽、「blume(ブルーメ)」は花ですから、やはり太陽の花という意味になります。
このように、ヒマワリの咲いた花のかたちが太陽に似ているということと、太陽を追うようにして回る性質をもつということから、世界のいたるところで太陽と結びつけられているのです。

ひまわり
ひまわり

お日さまがカンカンに照りつける夏の代表的な花と言えば、やはり太陽のように咲くヒマワリでしょう。
ヒマワリという名前は「太陽に向かって回る花」という意味に由来しています。しかし実際のところ、花が太陽を追うように回るものは、ヒマワリの中でも限られた種類で、多くは花を咲かせる前に茎の先やつぼみが回転するだけです。
ヒマワリはキク科の一年草で、大輪を咲かせることで知られていますが、大きな花はそれ自体が1つの花ではなく、管状花(かんじょうか)または筒状花(とうじょうか)とよばれる小さな花が1000個以上も集まってできていたものなのです。外側の黄色の花びらは虫を引きつける飾りの役目をし、内側にある小さな花は外側から中心に向かって順番に咲いていき、最後に種をつけます。
また、ヒマワリの高さは平均で2メートルから3メートルと背の高いものですが、背丈は2階建ての家よりも高く、花はマンホールのふたほどの大きさにまで成長したものもあります。

過去のお天気豆知識

ひまわりの呼び名2025年08月16日(土)
氷室(ひむろ)2025年08月15日(金)
お化け屋敷2025年08月14日(木)
夕立2025年08月13日(水)
ウミガメの産卵2025年08月12日(火)
高山植物2025年08月11日(月)

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お天気豆知識

ひまわりの呼び名

ひまわりの呼び名

ヒマワリは北アメリカ原産の花で、ヨーロッパへ渡った後、ロシアなどへ広まり、17世紀中ごろになって日本へ渡りました。ヒマワリという名は、読んで字のごとく太陽に向かって回る花という意味です。英語では「sunflower(サンフラワー)」とよび、ずばり太陽の花という意味です。しかし「太陽の方を向いて従う」という意味のsun-followから来ているという別の説もあるようです。スペイン語では「girasol(ヒラソル)」とよばれ、「girar(ヒラール)」は回る、「sol(ソル)」は太陽を表しているので、太陽について回る花、という意味になります。ドイツ語では「sonnenblume(ゾンネンブルーメ)」といい、「sonne(ゾンネ)」は太陽、「blume(ブルーメ)」は花ですから、やはり太陽の花という意味になります。このように、ヒマワリの咲いた花のかたちが太陽に似ているということと、太陽を追うようにして回る性質をもつということから、世界のいたるところで太陽と結びつけられているのです。

氷室(ひむろ)

氷室(ひむろ)

まだまだ暑い日が続いています。暑い時には冷たいものが欲しくなりますが、気温が30度を超えるとアイスクリームよりもかき氷といった氷菓が好まれるようになります。今では冷蔵庫が普及し、真夏でも冷たい食べ物や氷を簡単に手に入れることができます。しかし、冷蔵庫がなかった時代には簡単に氷を手に入れることなどできなかったのです。その昔、冬に自然の中で凍った氷を切り出して、氷室(ひむろ)と呼ばれる貯蔵庫に保存していました。そして、氷が欲しくなる夏に取り出してのどを潤していたのです。清少納言の「枕草子」にはすでに、かき氷の元祖ともいえそうな蜜をかけた削り氷を銀の器にいれて食べていた様子が書かれています。また紫式部の「源氏物語」にも氷室から取り出した氷で涼をとっている様子が描かれており、氷室は平安時代にはすでに重要なものでした。氷室は冬の氷を蓄えておく天然のクーラーボックスともいえるでしょう。ただ、大量生産はほとんどできず、また輸送するのも大変だったため、昔は天皇への献上物であったり、上流階級に限ったものでした。江戸時代になると、庶民にも売られるようになりましたが、めったにお目にかかることのできない高級品であったことにはかわりありません。なお、現在でも埼玉県の長瀞(ながとろ)など一部では天然の氷がつくられ、氷室を使って氷の保存を行っている所があります。

お化け屋敷

お化け屋敷

毎年夏になると、納涼特集として雑誌やテレビなどではお化け屋敷が取り上げられますね。夏の風物詩、お化け屋敷のはじまりは、1830年(天保元年)の江戸時代にさかのぼります。ある医者が、壁から天井まで妖怪(ようかい)の絵を描き、一つ目小僧などの人形を飾り付けた小屋を自宅の庭に作りました。これが評判となり、多くの見物人が集まったのがはじまりとされています。大正時代になるとお化け屋敷を博覧会に特設することが流行し、納涼イベントとして定着しました。人形のおどろおどろしさと光と音の演出によって観客を驚かし楽しませ、スリルとユーモアのあるイベントとして人気を呼びました。昭和に入り戦後になると、お化け屋敷は百貨店や遊園地の催し物として定着し、現在の様な姿となったのです。およそ200年前の人々も、お化け屋敷に出かけていたというのは意外ですね。