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お天気豆知識(2025年02月28日(金))

春の大風
春の大風

これからは寒暖を繰り返しながらも、ますます春らしい日が多くなっていきますが、例年、春には日本各地で強い南西の風が吹き荒れることがあります。
この強風は、「春の大風」といわれ、春に初めて吹けば「春一番」、桜の咲く時期に吹けば「花散らし」ともよばれます。
この風は、漁船を転覆させたり、飛行機を乱気流に巻き込んだりするほか、その暖かさによって雪崩を引き起こすこともあるため、防災上も正確な予報が求められる現象です。
この南西の強風を生み出す主な原因は日本海で発達する低気圧です。日本の南の海上にある高気圧の勢力が強まる春先には、低気圧が日本海を発達しながら北上することが多くなります。
そんなときの天気図は、南に高気圧、北に低気圧という配置になっていて、日本には北の低気圧に向かう南西風が吹きつけるのです。
そのため日本海で低気圧が発達する場合には、この南西の強風が吹きやすいといえるでしょう。

南西強風のしくみ
南西強風のしくみ

春に吹く南西の強風は、日本海側に発達した低気圧がある場合に現れやすいものです。しかし、その低気圧が発達していない時でも強い南西風が吹くことはあります。
この場合、どのような仕組みで起こるのでしょうか。それは、暖かく軽い空気が上にあり冷たい空気が下にある場合、下の空気が押さえられて通り道が狭くなり、風が地上付近に集中して勢いを増すことにより起こるのです。
一般に大気は上へ昇るほど冷やされるので、地上に近いほど気温は高くなりますが、ときにはその関係が逆転して、下の層よりも暖かい空気が上にくることもあります。
空気が暖かいということは軽いということでもあるため、その場合の下側にある重たい大気にとって上のより暖かい空気は天井のような存在になります。そのため上の軽い空気の層が高くなったり低くなったりして上下に波打っていると、それより下側を吹く風の通り道も広くなったり狭くなったりします。
天井の役目をする軽い空気の層が低く、下を流れる風の通り道が狭くなっている状態は、ちょうど水の流れるホースの先端をつまんだ状態と表現することができます。つまり、水が勢いよくながれるように、下側の空気が強風として吹くのです。
春の南西強風は、低気圧が日本海で発達したときにだけ注意すればよいというものではなく、上空の大気にも目を向けなければ予想できない複雑な現象なのです。

過去のお天気豆知識

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各地の天気

お天気豆知識

バナナ

バナナ

スーパーや八百屋でよく目にする果物、バナナ。バナナの高さは1.5から10メートルにも達しますが、実は木ではなく、巨大な草なのです。バナナの栽培は紀元前5000年から1万年ごろに始まったとされ、人間が最初に栽培した果物ともいわれています。バナナがよく生育するのは、赤道をはさんで南北30度以内の熱帯・亜熱帯地域で、年間降水量2500ミリ、平均気温27度の高温多湿な気候の「バナナベルト地帯」とよばれるところで主に栽培されています。私たちが口にするバナナのほとんどはフィリピンやエクアドル、台湾などの輸入品です。日本に輸入されるバナナは青いうちに収穫されますが、その理由は黄色くなるまで待つと甘みや香りが失われ、すぐに傷んでしまうからです。もう一つの理由として、熟したバナナには日本に生息していない害虫が寄生する恐れがあるため、植物防疫吠しょくぶつぼうえきほう)で黄色いバナナの輸入が禁止されているのです。ちなみに、買ったばかりのバナナは黄色ですが、熟すにつれ黒い班点が皮に現れます。これは「シュガースポット」とよばれ、甘みが増している証拠で、食べごろを教えてくれるサインなのです。身近なのに意外と知らないバナナの魅力を改めて見直してみませんか。

メイストーム

メイストーム

5月は高気圧に覆われて晴れる日が多く、1年で最も過ごしやすい時期です。季節は風光る春から風薫る初夏へと移り変わり、すがすがしい陽気に包まれて、植物には日々緑の濃さが加わる頃でもあります。しかし一方で、5月は黄海やその近辺で発生した低気圧が日本海を急速に発達しながら進み、嵐のように猛威をふるうことがあります。このように発達した低気圧は、それまで安定していた天候を急変させて思わぬ災害をもたらすこともあり、メイストームと呼ばれています。1954(昭和29)年5月8日に黄海で発生した低気圧は、翌日9日の朝に日本海西部で急激に発達したのち千島列島方面へ進みました。通常の2倍の時速70キロから80キロの速さで通過したため、その速さのために逃げ場を失った船舶の多くが沈没、流失し、死者、行方不明者361人を出す大惨事となったのです。のちにこのときの低気圧の研究が詳しく解析され、5月の嵐のことを表す言葉として「メイストーム」が生まれたのです。

江戸後期の地図作り

江戸後期の地図作り

大型連休をひかえ、旅行の計画を立てている方も多いのではないでしょうか。旅行に出かける際の持ち物の中で、欠かせないのはやはりその土地の地図ですね。初めて日本の正確な地図を作った人をご存じでしょうか。その人は江戸時代後期に活躍した伊能忠敬(いのうただたか)です。彼の測量の方法は、当時は歩幅をつかって距離を測る歩測でした。また、夜は天体観測を行って緯度を測定しました。北極星の高度がその場所の緯度と同じことを利用して現在地の緯度を調べていたのです。ただ一方で、緯度と同様に地図作りには欠かせない経度の測定はやっかいだったようです。経度の測定は、江戸、大阪と観測地の3地点で同時に日食や月食の始まりと終わりの時間をはかり、その差から求めようとするものでした。観測期間中に日食は4回、月食は9回ありましたが、どこかが悪天候になると測定はできません。なかなかうまくいかず、経度の測定は実質的には失敗だったようです。そのため経度は天体観測ではなく別の方法で計算から求められました。伊能忠敬は日本全国を歩き回り測量を重ねましたが、旅に出て18年後に病死してしまいます。その後は、弟子たちが引き継いで1821年に、のちに伊能図と呼ばれる「大日本沿海輿地全図(だいにほんえんかいよちぜんず)」を完成させ、幕府に提出したのです。