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お天気豆知識(2024年12月18日(水))

シベリア高気圧
シベリア高気圧

冬になると、大陸にある「シベリア高気圧」から日本に向かって北西の季節風が吹き出します。
シベリア高気圧は、シベリア地方に中心をもつ冷たい空気でできた背の低い高気圧で、その姿は、冬型の気圧配置のときの天気図にも日本の西側に見ることができます。
北半球では、秋分の日を境にして太陽の高度が徐々に低くなり、さらに緯度が高いほど太陽から受ける熱は少なくなるため、高緯度に位置するシベリア地方の気温は冬に向かってどんどん下がっていきます。
すると、冷たい空気は重いため地表付近にたまるようになります。シベリア高気圧は、このようにして冷たい空気がたまってできた背の低い高気圧なのです。

シベリア高気圧の成因
シベリア高気圧の成因

高緯度地方の中でも、特にシベリア地方に冷たい空気がたまる理由には、地理的な条件が関係しています。
冬の北半球では北へ行くほど太陽から受け取る熱は少なく、特に北極圏では太陽がまったく姿を見せない時期もあります。
そのため、一見シベリアよりもさらに北にある北極海の空気のほうが冷たいように思えますが、海は陸地に比べて冷えにくいという性質を持っているため、北極海の気温よりも大陸のシベリアの気温のほうが低くなるのです。
また、シベリアの南には標高の高いヒマラヤ山脈やチベット高原があって、寒気をせき止める働きをしていることも、シベリア高気圧をつくり出す要因のひとつです。
シベリアで生まれた寒気は、背が低いためヒマラヤ山脈を越えられず、そのままシベリア地方にたまってしまうのです。
シベリア高気圧は、十分に発達すると中緯度地方に冷たい風を吹き出し、日本には冷たい北西の風が吹き付けます。その後勢力はいったん弱まりますが、再び寒気をため込んで勢力を強めていきます。
冬の間、シベリア高気圧は、まるで息をしているかのように寒気の吹き出しと蓄積を繰り返すのです。

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各地の天気

お天気豆知識

バナナ

バナナ

スーパーや八百屋でよく目にする果物、バナナ。バナナの高さは1.5から10メートルにも達しますが、実は木ではなく、巨大な草なのです。バナナの栽培は紀元前5000年から1万年ごろに始まったとされ、人間が最初に栽培した果物ともいわれています。バナナがよく生育するのは、赤道をはさんで南北30度以内の熱帯・亜熱帯地域で、年間降水量2500ミリ、平均気温27度の高温多湿な気候の「バナナベルト地帯」とよばれるところで主に栽培されています。私たちが口にするバナナのほとんどはフィリピンやエクアドル、台湾などの輸入品です。日本に輸入されるバナナは青いうちに収穫されますが、その理由は黄色くなるまで待つと甘みや香りが失われ、すぐに傷んでしまうからです。もう一つの理由として、熟したバナナには日本に生息していない害虫が寄生する恐れがあるため、植物防疫吠しょくぶつぼうえきほう)で黄色いバナナの輸入が禁止されているのです。ちなみに、買ったばかりのバナナは黄色ですが、熟すにつれ黒い班点が皮に現れます。これは「シュガースポット」とよばれ、甘みが増している証拠で、食べごろを教えてくれるサインなのです。身近なのに意外と知らないバナナの魅力を改めて見直してみませんか。

メイストーム

メイストーム

5月は高気圧に覆われて晴れる日が多く、1年で最も過ごしやすい時期です。季節は風光る春から風薫る初夏へと移り変わり、すがすがしい陽気に包まれて、植物には日々緑の濃さが加わる頃でもあります。しかし一方で、5月は黄海やその近辺で発生した低気圧が日本海を急速に発達しながら進み、嵐のように猛威をふるうことがあります。このように発達した低気圧は、それまで安定していた天候を急変させて思わぬ災害をもたらすこともあり、メイストームと呼ばれています。1954(昭和29)年5月8日に黄海で発生した低気圧は、翌日9日の朝に日本海西部で急激に発達したのち千島列島方面へ進みました。通常の2倍の時速70キロから80キロの速さで通過したため、その速さのために逃げ場を失った船舶の多くが沈没、流失し、死者、行方不明者361人を出す大惨事となったのです。のちにこのときの低気圧の研究が詳しく解析され、5月の嵐のことを表す言葉として「メイストーム」が生まれたのです。

江戸後期の地図作り

江戸後期の地図作り

大型連休をひかえ、旅行の計画を立てている方も多いのではないでしょうか。旅行に出かける際の持ち物の中で、欠かせないのはやはりその土地の地図ですね。初めて日本の正確な地図を作った人をご存じでしょうか。その人は江戸時代後期に活躍した伊能忠敬(いのうただたか)です。彼の測量の方法は、当時は歩幅をつかって距離を測る歩測でした。また、夜は天体観測を行って緯度を測定しました。北極星の高度がその場所の緯度と同じことを利用して現在地の緯度を調べていたのです。ただ一方で、緯度と同様に地図作りには欠かせない経度の測定はやっかいだったようです。経度の測定は、江戸、大阪と観測地の3地点で同時に日食や月食の始まりと終わりの時間をはかり、その差から求めようとするものでした。観測期間中に日食は4回、月食は9回ありましたが、どこかが悪天候になると測定はできません。なかなかうまくいかず、経度の測定は実質的には失敗だったようです。そのため経度は天体観測ではなく別の方法で計算から求められました。伊能忠敬は日本全国を歩き回り測量を重ねましたが、旅に出て18年後に病死してしまいます。その後は、弟子たちが引き継いで1821年に、のちに伊能図と呼ばれる「大日本沿海輿地全図(だいにほんえんかいよちぜんず)」を完成させ、幕府に提出したのです。